本日私のサイトに検索エンジンから来訪された方の、検索ワード。
・プレカリアート
・社会主義の行き詰まり
……まずい。
まったく以ってまずい。
こんな何も勉強していない人間の
妄想書きなぐった記事が
割と上に出てくる。
旧サイトが消滅してから、
一日10人しかきてないんですよ?
その内訳が
・お気に入りor直打ち
・mixi
・DTI(このBLOGサービス)内から
・検索エンジン
で
検索エンジンが、そんな状態。
うちは「社会派blog」ではありません!
至って不健全な「オタクblog」です!
まあ、
コメントもトラックバックも頂いていないので
戯言だと理解していただけたのでしょう。
と胸をなでおろしています。
他は、二回ほど
「アメノウズメ」
で検索されていた。
…すみません。
アメノウズメに関する記事は一切書いていません。
困ったねこりゃ。
後は
「wma ライセンス解除」
残念ながら、技術的な方法には触れていません。
録音しなさいという旨が書いてあるだけで。
検索エンジンから来るとすばらしく期待はずれ
(どういう方向から来ても期待はずれ)
なサイトになっております。
大体このBLOGの趣旨がわかりません。
絵に萎えてきた(と言うか大学後半から鬱に近い)ことも手伝ってか
文章にシフトしつつあります。
そういや前の前のサイト辺りから
絵より雑記のほうが人気あったよな。
身内しかいなかったけど。
大体
絵以外の趣味が
趣味といえるほどのものではないのが問題なんですよ。
今年で14年目に突入するお絵かき歴に
とうてい不相応な画力しかないのに
14年も描いているものだから
他のものを見いだせない。
多分絵を描かなかったら
ネットゲームしかしないとか
そう言うくだらない人間になってしまう。
文章はその逃げ道として確立しようとしているのだろうか
読むのが好きだからといってかけるワケじゃないし
読むのが好きな人が、書くのが好きと限ったわけでもない。
可能性としては逃避の道を無意識のうちに用意していたんだろうと思う。
そう考える方がしっくり来る。
問題なのは、絵と違って文はなかなか感想を貰えないから
「ああ、無理なんだ」
って思える機会そのものがない。
だから無駄に期待してしまうのでしょう。
文章に関してはこのくらいにして。
絵のように上手い下手が一目瞭然なメディアって
周りに巧い人がいるとその差も一目瞭然なわけで。
取り敢えず困ったもので。
飛んで火に入る夏の虫
ってあるじゃないですか。
正にアレなんですよね。
巧い人の側に寄りたがるのに
いざ近付くことを許されたら
萎えて気分が落ちる。
どうしようもない駄目人間です。
最近は絵のことを考えるときに
側にカッターを置かないようにしています。
冗談ではなく。
考えないで描けているうちはいいんです。
ここんとこうまくかけないなあ、この人どう書いてるんだろう。
って巧い人のを参考に見たら最後。
何で上手く描けるんだろうとか何が違うんだろうとか考えて
最終的に自虐思想へ。
私の場合、
(この程度のレベルなのに)
無駄に14年目になるくらい時間をかけているので
絵は趣味の域をはみ出して
自己表現だったり
アイデンティティだったりしています。
安っぽいのも愚劣なのも理解はしていますが
だからといって
早々に変えられるほど甘いものでもないのは理解していただきたく。
絵が上手く描けないのは自分を上手く確立できていないと言うことで
絵が埋もれそうな絵柄であることは自分が埋没すると言うことで
自己表現だからそれを外に見せなければ自分が存在しないことであり
しかし上記それぞれに関して相応のレベルに達していないので自分が居ないと錯覚する。
それをわかっていて
上手く見える絵柄にするとか、上手く描ける方法にするとか、そういう方法論にも甘んじる覚悟がない。
自己嫌悪のループに陥るわけです。
私は私自身は嫌いではないが、
認められていないという一点においてのみ
自分がものすごく嫌いである。
認められるほどの能力もなく
認められていなくても自分を維持できるほどの強さもない。
評価を願うが、
評価を望むべくもないものだという自覚もある。
自信を持てという言葉に関して理解は出来るものの
自分の何を以て自信につなげろと言うのかわからない。
根拠のない自信それ自体を信じられるほどの、よい意味での愚かさも持っていない。
でもきっと書き続ける。
書かないと自分が消えてしまうから。
絵描きにしか言ってもわからない悩みだが
絵描きに言うと
傷を嘗め合うだけか
単に引かれる。
結局自分の問題なこともわかってる。
でもきっと自分では解決できない。
かっきったほうが楽になるとさえ思うこともあるが
「たかが絵で」と思う理性もある。
だが「たかが」で済まされないほどに依存している自分も認識している。
私はどうすればいいんだろうか。
せめて
さいのうの
ひとかけら
それだけでも
ってコトばっかり書いててもつまらないので
何かネタになることでも。
先日、朝起きたら微妙に遅い時間でした。
朝食はいつもご飯とみそ汁。
若しくはパン。
少なくとも欠かせたことはほとんどありません。
まあ少々遅いくらいですから。
各の動作を少し慌てれば間に合うわけです。
あわてて。
みそ汁を溶く(パックみそ汁でした)お湯を
足に。
あっっっっっっっっっっちいいいいいいいいいいいいいい!!!!
どうせ猫舌でのめもしないほどに加熱したお湯が。
そのときはたかが火傷くらい、と思ったんですが。
家を出るくらいになると、痛みが結構非道い。
んむー。
まあ今日は金曜日だから。
一日我慢すればいいか。
帰宅。
痛みにも慣れて。
就寝。
起床。
痒いなあ。
…べしょっっ
え?
何?
水ぶくれがものすごい広範囲に。
そして掻いて潰した。
きもちわるううううううううう・・・・!
水ぶくれになっているか、紫色になっているか。
結構非道かったのかオイ。
もう今更なので放置。
1週間程で治りました。
治ったので再び安寧な足下事情を満喫していたら。
ある日起きると。
んー、痛がゆい。
何か虫にでも食われたかなあ。
よく見ても食われたようなあとはない。
ほっておいた。
夜。
うわ、又水ぶくれ!?
なんだろう。
靴擦れみたいに見えるけど
位置が
足の小指と薬指の間。
こんなとこ靴擦れしない…。
とは言え、
ハルヒのイベントの翌日だったので
思い当たる節がないと言えば嘘だ。
だがこんなとこはこすらないだろう…。
水ぶくれの大きいこと。
小指の半分くらいを覆う勢い。
そして。
べろり。
ぎゃー。
火傷の時と違って
なんてきれいな白と赤のコントラスト。
白は汁にふやけた皮膚
赤は…多分肉。
血は出ていません。
取り敢えず絆創膏を貼って…
しばしこれでほおって置けば
いつの間にか治ってるだろうー。
と
明日のご飯を作る。
今日は暑いみたいで
足下が結構汗をかいてますね。
汗の絆創膏がはがれ…
って
ちげえええ!
あふれる汁の多さで絆創膏が無力化。
これは困った…。
数時間
拭いては濡れ濡れては拭いてを繰りかえすが
一向に汁の量が減らない。
出しても出しても減らない汁は違うところに下さい…。
拭いても拭いてもあふれる汁は違うところに下さい…。
いやもう
そんな冗談を言ってる状態ではない気がします。
結局
ティッシュをまいて寝て
翌日ガーゼとテープをかってきました。
その夜を明かしたティッシュは、黄色い固まりになっていましたが、
気持ちが悪いので余り観察せずに捨てました。
昨日くらいにようやく治ってきた感じです。
なかなか健康な日常が続きませんね。
ちゃんちゃん。
データ整理をしました。
各種小説カテゴリについて、
作成年月日が
1910年〜:小説郡本文
1901年〜:小説に関する本文以外のもの
となります。
月日は真の作成日と等しくなりますが
年は常に「表示上−真の」が等しくなるとは限りません。
なお、カテゴリは通常通りに分割してあります。
基本的には2Dオタです。
ええ。
現実の女に興味はない!
…ワケじゃないんですよ。
ただ、2Dつまりフィクションというのは
「都合のいいディフォルメ」
であるわけで
自分の嫌いな部分は描かずに
自分の好きな記号は突出させる
ことができる。
だから、つまり
絵というメディアに表現されたセクシャリティを受信する能力さえあれば
より自分の好みに合致した性対象が登場するのは
現実ではなく、フィクションなワケです。
私の考えとしては
「2D萌え且つ現実拒絶」タイプの人も
実は根底を覗けば現実拒絶なのではなく、
その二者の格差が激しいだけであると思っています。
現実的性的不能ではなく、完全なワンサイドゲームで2Dの勝ちみたいな。
1:100の得点差くらいで。
それを裏付けることかどうかわかりませんが
ギャルゲーの氾濫したタイプの絵が大好きだった頃は
現実の女になど興味もありませんでしたが
そのタイプに絵に疑問を抱き、
且つ
自ら各立場としての意識を確立した上で、
そのタイプの絵を目指すことへの食傷を自覚した時点から
少し現実の女性にも興味が出てきました。
お、あのこかわいいな
とか
思うことが出てきました。
高校卒業くらいから。
高校中盤辺りで
単に人が好く絵を描くのではなく
描く価値、書き手として描きたい絵のタイプが顕れてきたのを覚えています。
書き手として描きたいタイプの絵
と言うのが結構重要なファクターで
受け手として描きたいタイプの絵を自分が描きたい絵だと目指し続けることに疑問さえ抱かなければ
(概ねそう言う場合は、
受け手側の絵であるにも拘わらず
書き手として描きたい絵はこれなんだと錯覚しているだけの
愚行だと思っている)
もう少しキャッチい絵を描くようになっていたかも知れません。
若しくは自分の絵を少しは好きになれたかも知れません。
でも割と残念だと思っていない自分が居ます。
埋没する絵はわざわざ労力をさいて描きたくない。
でも今の絵は埋没方面へまっしぐら。
…ブルーになるので已めよう。
絵のタイプが好きになれないから
どうしても色塗りに進む気が起きずに
ほとんど色を塗らないんですよね…。
それももう悪循環にしかなっていません。
まあその話は置いておきますか。
2Dで自分の好みに都合よく合致した対象を手に入れ続けた私です。
妄想力も割と高いと自負しています。
ですから。
たとえ現実の女性に興味が出てきたとしても
とんでもなくレベルが高い。
いや、そこには故人の好みがあるので
私の好みを人に述べた時点で「は?」っていうのはあると思う。
ちなみに、
2Dキャラへの好みが、クラスタを形成し
「○○萌え!」
っていうセクトが巨大に生じるのは
2Dフィクションで描かれる絵柄やキャラクター性に
さほど多様性がないためだと思っています。
選択肢が少ないから、固まりやすい。
そう言うことかと。
多様性はないが、
粗造を繰り返してコピーによる世代交代を経ることで
キャラへの愛着は絵柄や形式的性格という記号への愛着へとスライドする。
当事者はその現象に気づかないために
2Dキャラは概ね「旬もの」として扱われる。
但し、加齢しない為、現実の女性よりも愛着の寿命が少々少ない程度に抑えられている。
そう考えています。
さて。
大学時代に友人と街を歩いていて。
「お前、彼女居ないとか何とか言ってるけど、どんなタイプがいいの?」
「さあ。自分の好みとかよくわからない。」
for(エンカウント回数 = 0; エンカウント<友人の諦め値; エンカウント回数++){
「あの子、可愛くない?」
「あんまり。」
}
(↑ちなみにその友人とのつきあいの間割とずっとの蓄積)
「お前、面食いだろ」
「だって…そんなに可愛く思わなかったんだもん」
「どんなにがいいのよ!」
「わかんないんだって。○○(女優とかモデルとか)とか可愛いと思うけど。」
「そんなのそこいらに転がってるわけないだろうが。」
「でもそっちの方が可愛いし、
それくらいでないと、
2 D の 方 が い い
んだもん。」
末期。
いやでも、拒絶するよりかはいいかな。
そんな私がキたのは
デビュー当時の真鍋かをりだったり
もう少し胸が大きかったら加藤ローサだったり
写真撮影用にきめている米倉涼子だったり
ポカリスエットのCMに出ているときに綾瀬はるかだったり
もう少し頭が良さそうにしていれば小倉優子だったり
髪がぺったりしていなければMEGUMIだったり
デビュー当時のベッキーだったり
します。
何この限定性。
しかも結構癖があるような…?わかりませんが。
特にドラマ「不信の時」のポスターで
「正しい妻です」って書いてある、肩越しにこっちに視線を送る米倉涼子が
最近のツボでした。
限定しすぎ。
あの構図、
髪の毛の散らせ方とか肩の強調の仕方とか
何となく漫画チックな感じがしてなりません。
そこがいい。
そこがせくしー。
はい、マイノリティです。
問題は、彼女に求めるレベルも外見的にはこのくらいになってしまうのがいけないわけで
つまり2D慣れしているせいで現実と理想のギャップが埋められないのだろう。
ちなみにテレビというメディアの向こうにいる彼女たちの内面は知ることが出来ず
それは
2Dにおいて要らない部分をディフォルメして消し去っているのと
同じ機能があると思っている。
もう少し、現実味のあるレベルを求めないと。
存在だけではなく
私という人間に釣り合うか否かという考慮も忘れてはいけない。
あと度胸 orz
東京に来る前に一イベントありましたが
まあ、
余り話したくないのでパス。
男性向け雑誌の表紙のグラビアより
ananとかの表紙の女の子の方が可愛く見えるんですが
私だけでしょうか。
まあ、面食いなんじゃなくて。
ええと、病気?
旧サイトがいよいよ削除されたようで
準じて来客数が半分以下に。
うはは。
エロコンテンツも少ないから検索エンジンに登録するわけにも行かない。
鈍行運転に拍車がかかる。













